関西独立リーグでつかんだ、再起のきっかけ
――となると、クラーク国際高校に転学しても、モチベーションを見つけるのは難しかったのでは?
福永 「ひじが治っているのであれば、また野球がしたい。でも、できるんかなあ」という感じでした。当時は野球も見ないし、触れてもいなかったです。ただただ、学校に行って、授業を受けていました。
ただ、幸いにも右ひじは疲労骨折だったので、完治して問題なくなって。自分も次の進路を考えるようになりました。大学に進むか。独立リーグに進むか。そこで思ったのはドラフトのことです。
大学だと4年待たないといけないですが、独立リーグであれば毎年かかる可能性がある。チャンスがあるのであれば、独立リーグの方がいい。そう思ったんです。
――その独立リーグにもいろいろな選択肢があったと思います。
福永 自分が一年半投げていないことを考慮した時、ルートインBCリーグや、四国アイランドリーグplusの環境でついていける自信が当時はありませんでした。そこで関西独立リーグ(現:BASEBALL FIRST LEAGUE)の試合を実際に見たとき、「ここなら僕でもやれる」と思ったので「06BULLS」に入団することにしたんです。
――監督は村上 隆行さん(元近鉄バファローズなど)・投手コーチは石毛 博史さん(元読売巨人軍など)。はじめてプロの指導にも触れました。
福永 はい。加えて元韓国LGツインズ・三重スリーアローズにもいたホン・ソンヨンさん(現:ktウィズ)がマンツーマンで指導してくれたことも大きかったです。
プロとしての投球・練習の仕方。具体的には肩回りや股関節回りのストレッチやキャッチボールで胸に投げることが投球のスタートになること。ですから、僕のキャッチボールはベルト付近で力を溜めてから、バランスとコントロールを考えて投げるようにしています。
――その考え方が形成されたのは独立リーグに入ってからですか?
福永 そうですね。1年目は言われるがままにやっていたことが、ホンさんが韓国に渡った2年目になった時に自分で考えられるようになって。もっと上に行くにはどうしたらいいのか。キャッチボール・ランニング・登板前の過ごし方などを考えるようになれたんです。
――ともすると環境に流されそうになる中、そのような考え方を保てたのはなぜですか?
福永 目標がはっきりしていたからです。1回野球から離れたことでの想いもありましたし、NPBに行きたいと想いがあったから。チームメイトは仲間であると同時に敵でもあり、ライバル。リーグで一番に立ってもNPBに進めるわけではありませんが、一番にならないと次が見えてこないと思っていました。
「NPBへ行くため」四国アイランドリーグplusへ
――結果、2013年関西独立リーグ、2014年・BASEBALL FIRST LEAGUEで06bullsは2年連続年間総合優勝。福永投手も圧倒的な成績を残します(2013年年間防御率1.67、2014年年間防御率1.50)。
福永 そうなんですが、アピールする環境や相手打者のレベルを考えると四国アイランドリーグplusの打者とは違うし、リーグ選抜でNPBの打者と対戦しても2巡目からは弾き返されてしまう。聖澤 涼(東北楽天イーグルス)に対しても外角に振り遅れたと思ったら、レフトフェンス直撃でした。
――ということもあって、2015年を前に四国アイランドリーグplus・徳島インディゴソックスへの道を選択したわけですね?
福永 四国アイランドリーグplusは福岡ソフトバンクホークス3軍との定期交流戦がありますし、選抜チームに選ばれればフェニックスリーグやイースタンリーグ「フューチャーズ」との交流戦もある。そこに入って自分をどんどん見てもらいたいと思いました。
――高知でのトライアウトでは相当緊張されているようにみえました。
福永 久々に緊張しました(笑)。でも1球投げてから持ち味のストレートとスライダーを投げることができました。徳島インディゴソックス入団後は開幕戦を投げるつもりで調整を進め、右打者へのシュートやチェンジアップなども習得するようにしていきました。
「トレーニング面ではNPBで勝つための計画を考えて、自分で実行できる選手。知識を吸収する姿勢もある。NPBでも(以前、個人トレーナーをしていた)菊池 雄星(埼玉西武ライオンズ)と同じレベルの選手です」
昨年、徳島インディゴソックストレーナーを務めた殖栗 正登氏(現:同球団トレーニングアドバイザー)ですら舌を巻く意識。その高さは昨年一年でさらに磨かれた。第2回では手ごたえと悔しさが相半ばした2015年シーズンを振り返っていきます。