「男なら大舞台で勝負」で単身アメリカへ
――高校は龍馬高校に進みます。
ジェフン この高校も悪いチームではありませんでしたが、全国大会では1回戦負け。監督も交代したり、いろいろ難しいことがありました。この時僕は捕手や外野手をしながら中学3年からはじめた投手も兼任していました。高校1年生で最速は147キロくらい出ていたと思います。ただ、2年生からは打撃を買われて打者中心だった。
――そして進路を選択する時期が。大学・韓国プロ野球・そしてMLBといろいろな選択肢があったと思います。
ジェフン 確かに選択しなければいけない状況でした。でも「男なら大舞台で勝負しなければいけない」と思ったので、韓国プロ野球のドラフトが開催される前にMLBのシカゴ・カブスと契約することにしたんです。
――それは思い切った決断ですね。周りの皆さんに相談はしたんですか?
ジェフン 高校の監督・中学校の監督、いろいろな方に相談しました。みなさんからは「韓国でプレーしろ」よりも「アメリカでプレーしろ。お前ならできるから」と言ってもらったので、2009年度にルーキーリーグの1つ上、ショートシーズンからアメリカでのキャリアをスタートさせました。
――それまで海外でのプレー経験はあったのですか?
ジェフン いや、一切なかったです。ですから、いろいろ大変なことはありましたが、中でも言葉が一番。ここがクリアされればあとは何とかなるんですが……。野球場では通訳はいたんですが、それ以外の場所が大変でしたね。
かくして19歳で飛び込んだ異国の地。アメリカでのキャリアを重ねる中で感じたことや苦心の時期を後編ではハ・ジェフン選手に語っていただきます。