「走・攻・守」。野球のだいご味であるすべてを備えた韓国人プレーヤーが四国アイランドリーグplusでまばゆい煌めきを放っている。
徳島インディゴソックスの外野手・ハ・ジェフン。右打席から蜂のように一撃で相手投手を捉えるバッティング。183センチ87キロの身体を蝶のように舞い踊らせる走塁。さらに強く正確な肩に広い守備範囲。おまけにマウンドに立てば最速149キロ。トップを独走する本塁打5本を含め、全ての部門でベスト5以内に入る成績含め、リーグでは「別格」の存在感を発している。
そんな彼がこれまで謎に包まれていた球歴の全てを2回に分けて初公開。前編では高卒で異国の地に渡った決断までをたどります。
少年時代から残した「スーパー伝説」の数々
――日本だけでなく、韓国でもほとんど情報がないハ・ジェフン外野手。ですので、まずは経歴から教えてください。
ハ・ジェフン外野手(以下、ジェフン) 生まれは慶尚南道の晋州ですが、育ったのは馬山。野球を始めたのはヤンドク小3年の時ですね。きっかけは父の兄がアルミ工場でバットを作っていて、そのアルミを材料に僕用のバットを作ってくれたんです。さらにおじさんとヤンドク小の少年野球チームの関係者が知り合いだったこともあって、どんどん野球にのめり込んでいきました。
注;韓国は少年野球から全て硬式野球。
――最初はどこのポジションから始めましたか?
ジェフン 外野手。1番でした。小学校3年生の終わりに入団し、4年生になると1番で試合に出始めて、5年生になると捕手で3番を任させるようになりました。
このチームは強くて4年生で自分も全国大会に出場できましたし、30連勝や全国優勝も経験しました。
――となると、練習は厳しかったのでは?
ジェフン 朝・昼・晩と練習していました。合宿もして。そのおかけで野球が少し嫌になって1回離脱しましたが(苦笑)、野球が好きで1週間で戻ってきました。
—―中学は馬山東中に進みます。ここも強い学校だったそうですね?
ジェフン そうです。全国大会で準優勝もしましたし、僕も1年生で外野手。2年からは捕手でレギュラーを張っていました。実はアメリカでも捕手経験があります。一番辛い、大変なのは捕手ですけどね(笑)。
――ちなみに小学校・中学校時代から身体能力は高かったのですか?
ジェフン 小学校時代から肩の強い捕手として評価を頂いていました。走るのも幼少のころから得意で、中学校時代は「どうしても出てくれ」と周りの人に言われたので、非公式の陸上競技大会で100m走に出たこともあります。たぶん当時は100m10秒後半。今の方が少し遅くなって11秒前半くらいです。
――それは日本でいうところの「怪物」です!
ジェフン そうかもしれません(笑)。