サブロク 双亮投手

4月10日(日)の読売巨人軍3軍との定期交流戦でついに四国アイランドリーグplusデビューを飾った愛媛マンダリンパイレーツのサブロク 双亮(本名:杉浦 双亮)投手。
お笑いコンビ「360°モンキーズ」と野球との二刀流、かつ40歳でのプロ野球挑戦で話題を集め、様々なメディアで取り上げられる一方で、これまでの野球経歴や野球思考が語られたものはほぼない。

そこで四国アイランドリーグplus公式HPでは彼の野球経歴や芸人としての「プロ20年」に裏打ちされた野球思考について3回に渡りスポットを当てることにした。第2回では現在の野球思考を支える草野球時代のお話と、「あの」モノマネ誕生秘話も語って頂きました。

「真剣に・楽しく」草野球に取り組む中で

――帝京大入学後は芸人を志した杉浦 双亮さん。1997年には株式会社太田プロダクション入りし、同年5月には相方の山内 崇さんと共に「360°モンキーズ」として舞台デビューを果たします。その一方で、杉浦さん自身、野球は続けていられていたのですか?

サブロク 双亮投手(以下、杉浦) 学生時代は数か月に1回程度。大会に出るわけでもなく校庭でキャッチボールをするくらいでした。その後、芸人になった時にライブで一緒になった先輩から「野球をやっているなら、一度来いよ」と言われて「たけし軍団」(芸人・映画監督の北野 武氏が率いる野球チーム)に参加したのが草野球の最初です。23~24歳から30歳くらいまでです。

――最初は「たけし軍団」だったんですね!

杉浦 大学の時、サークルでする野球が楽しくて。でも「楽しい中でも真剣に取り組みたい」と思う中、「たけし軍団」の野球はレベルが高いし、勝ちにもこだわりながらそこのメリハリがしっかりしていた。そこが楽しかったです。
その後、サンドウィッチマンの伊達ちゃん(伊達みきお)のチームの助っ人に入ったところ、伊達ちゃんが来なくなったので(笑)。ちょうどサンドヴィッチマンが忙しい時期(2007年M-1グランプリ優勝)に入ったので僕が見るようになって……。それが32歳くらいから昨年までといった感じです。